日本ウミガメ協議会

-Sea Turtle Association of Japan-

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更新日 2017-05-26 | 作成日 2009-04-02

民族学

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kameHAKA_HP.jpg千葉県、静岡県や和歌山県などの海岸線の集落では、時折、ウミガメのお墓が見られます。昔も、今のように、海岸に死んだウミガメが打ちあがり、それを哀れんだ土地の人がお墓をたてたのです。昔は、今のようにカメの死体が多くなく、珍しかったかもしれません。

神社

urashimaJINJYA_HP.jpgurashima_koura.jpgウミガメの神社として有名なのは、京都府伊根町の浦嶋神社です。ここに伝わる浦嶋伝説は、丹後風土記や日本書紀にもある、由緒あるお話です。
神社には、アカウミガメの甲羅も奉納されています。

祭り

徳島県日和佐町の「うみがめ祭り」は地域の自然資源といえるウミガメを有効活用した宣伝といえます。日和佐の「うみがめ祭り」は現代的なお祭りです。日常的にウミガメを食していた社会的慣習が祭り(儀式)の一部に加わった例がウミガメとゆかりのある地域では結構あるのではないかと考えられます。 
沖縄では旧暦の6~7月に農山村地域で豊猟を祈念してイノシシ狩りを模倣した儀礼が行われますが、一部の海に近い地域ではイノシシがウミガメになっている地域があります。ある地域では春に沖でウミガメを見かけると農家も漁師も仕事を止めて宴会をしたという話も残っています。また、実際にウミガメを解体する祭祀を行う島があるそうです。これは絶対にその儀礼を見に行かないという約束でその島の人に教えてもらった話です。全国各地にあまり知られていないウミガメにまつわる儀礼・祭祀が地方に残っているかも知れません。興味を持つことは大いに結構ですが、見に行く場合はその地域の住民へ配慮し、撮影などは必ず許可を取って行いましょう。(詳細は、『マリンタートラー6号「ウミガメの民俗学2 藤井弘章」』に詳しく紹介されています)
ウミガメをあまり食さなくなった現代、かつての産卵浜がどんどん姿を変えたり、消えたりするようにウミガメにまつわる祭祀も急速な変容や消滅が危惧されます。

食文化

ウミガメが産卵する浜がある地域や近海をウミガメが回遊する地域では、ウミガメは食の対象でした。ウミガメや卵を食すことに抵抗を抱く人もいるかも知れません。しかし、近くで獲れる動物を食すということは極々自然な生活スタイルであり、その習慣が定着していればそれは文化となります。各地で育まれてきた文化は守られなければなりません。
近所に漁港や畑があるにもかかわらず、近くのスーパーに外国産の魚介類や野菜がならぶ現代を昔の人が見るとどう思うでしょうか。

① 卵

砂浜にウミガメが産み落とした卵はとくに食料に乏しい時代は重要な食糧資源でした。なぜ重要かというと鶏卵などと違い一度にまとまった量が得られる点と、海に潜ったり山に入ったりしなくても、子どもやお年寄りが砂浜という比較的安全な場所で容易に手に入れることが可能であるという点です。
また、ウミガメというシンボリックな生物ゆえに卵に付加価値が付き、ガンに効くとか安産祈願だとか、長寿になれるなど信仰に近い感情から求められました。
調理は鶏卵と勝手がちょっと違います。ゆでても焼いてもほとんど固まらず変化しないからです。鶏卵が高価な時代は鶏卵のかさを増すためにウミガメの卵を加えたりしたところもあります。また、産卵を控えたメスガメの肉を食す時、体内から出た黄色い卵を食べることもあります。正直、ウミガメの卵はあまり美味しいものではありませんが、まだ殻が形成されていない黄色い卵は美味しく、喜ばれていました。

② 肉

沖縄では「ウミガメに包丁を見せると涙を流す」と聞かされたとよく聞きます。また、「本当にそうだった」と話す人にもよく会いました。それほどウミガメをさばくことが日常の生活の中であたりまえの光景だったのでしょう。
ウミガメの肉は鍋にして食べるのが一般的なようです。沖縄では刺身や唐揚げなどにしても食べられます。小笠原と沖縄はアオウミガメ、その他はアカウミガメがよく食べられていました。高知県の室戸地方で「ヤウチハランダシデウマイ」という言葉を聞いたことがあります。これはウミガメの旨いところを部位ごとに表した言葉で、よく食べられていたことが伺えます。
ウミガメの肉を煮込む際にカレー粉を入れるという共通の事例に高知と沖縄で出会いました。また、かつてマグロ船に乗っていた漁師からは焼き肉のたれで味付けしたという話をよく聞きます。癖のある風味を消すためのようです。
ウミガメの入手方法はいろいろあります。産卵の為に上陸したウミガメを捕まえたり、漁の最中に偶然出会った時に銛で突いたり、釣りあげられたり、網に偶然入ったりと、狙って獲れるわけではありませんが、よく手に入りました。もちろん潜水してウミガメ自体を狙った漁もあります。
卵を取って食べていたところでは全部とらずに少し残すようにしたり、産卵の為に上陸したウミガメを捕らえる地域でも産卵後のウミガメを捕るようにするなど、食糧難の時代とはいえ資源保護の意識は高かったようです。

ウミガメに助けられた人

沖縄では祖先がウミガメに助けられた為、その子孫たちはウミガメの肉を食べないという話が多く残っています。それぞれが、遭難場所やウミガメに助けられて連れられた場所など具体的に伝承されています。また、琉球王国の正史である『球陽』には明の皇帝が即位したことを祝うために派遣した慶賀使の船が沈没した際、通訳として乗っていた蔡譲(さいじょう)という人がウミガメに助けられたという話が記載されています。
中国をはじめアジアと活発に交易していた琉球王国。島嶼地域であり、多くの台風襲来、さらに当時の造船技術や船舶技術を加味すれば沢山の海難事故が発生したでしょう。また、今よりウミガメが沢山いたと考えるのが自然でしょうからウミガメの甲羅に乗って助かった人がいてもおかしくは無いと思います。冒頭で述べたウミガメの肉を食べない子孫は小橋川家、国吉家、渡具知家、許田家、儀間家などが知られています。
tasukerareta_haka.jpg左の写真は小橋川家のお墓です。小橋川家は祖先が「カメと鱶」あるいは「カメか鱶」に助けたとされており、その両方を食べないようにしてきています。